ぷち豆知識

2022-02-27 08:07:00

桃の節句パート1

桃の節句

今回のテーマは、桃の節句!

3月3日。女の子のお祭り

(※男の子は瑞午の節句。)

 

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〇歴史

・元々は「上巳(じょうし・じょうみ)の節供」

・起源は古来中国の上巳節より

・上巳とは、3月上旬の巳の日という意味

・中国では、上巳の日に、川で身を清め、不浄を祓った後に宴を催す習慣がある

・日本では平安時代に伝わる

・宮中の「人形遊び」と結びつき「流し雛」へと発展したといわれています。

 

✳︎ひなまつり

・中国の上巳の祓いが伝わる以前に

日本の貴族社会の「雛遊び(ひいなあそび)」が平安の中期に盛んに行われておひ、当時の大人の遊びが、次第に子供たちの世界に広まりました。

 

※現在のような雛人形はいつから?

(段を組んだり豪華な飾り)

・江戸時代に入ってから。

江戸時代の初期

・京都の御所で盛大な「ひなまつり」が催されて以降

・江戸の武家社会にも広まり

・庶民の間にも定着していったとされる

 

ひな人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀ります。

 

ひな祭りの料理

ちらし寿司と蛤のお吸い物ですね。

・蛤は女の子の美徳と貞節を意味するもの

・ちらし寿司の具である蓮(れんこん)やエビも縁起がいいものとされる

お祝い事には良く使われます。

 

✳︎ひな人形は、姉妹で共有してはいけないの?

・ひな人形は「一人ひと飾り」といわれ

・姉妹で共有したり

・親から受け継ぐのは良くないとも…

 

※BUT 女のお子さんそれぞれに「ひな飾り」を用意し、飾るのは難しい…

新たに女の子が誕生した場合

ひな人形を増やしていくと良いという説がある

・揃っていない人形やお飾りを増やしてあげるなど

・現代の生活にはあっているかもしれません

・このような風習は、その家ごと、また地域によっても異なりますので、年配の方に相談されるのがいいでしょう。

 

✳︎すぐに片づけないとお嫁にいけない?

節句が終わったらすぐにひな人形を片付けない?

お嫁に行くのが遅れるという俗説がありますが地域によっては旧暦(4月上旬)に行うところもあり、全く根拠のない言い伝えです。

 

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 ・いつまでも飾っていると季節感がなくなる

・お客様がいらした時に、だらしないという印象を持たれてしまうことにもなる

・そのへんはちょっと気を配りたいところ

・「きちんと片付けなさい」という教えかも

※片付けは晴れた日をえらびましょう!

 

✳︎飾るのはいつがいいのでしょう?

地方によっても違うようですが、雨水の日に飾ると、良縁に恵まれると言われています。

 

 

 

2022-02-13 16:26:00

涅槃会

2月15日は、涅槃会です。
高野山をはじめ、常楽会として法会が2月14日夜から毎年行われております。
また各寺院でも行われてる所もあります。
日にちも近い事もあり、今回の雑学テーマにしました!
参考にどうぞ!
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涅槃会とは、お釈迦さまの入滅(亡くなられた)された2月15日の行事のことです。全国の寺院では2月14日より「仏涅槃図」(ぶつねはんず)が掛けられ、お釈迦さま最後の説法である「遺教経」(ゆいきょうぎょう)などを読誦し法要が行われます。
(常楽会、涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本やアジア諸国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要です。現在では、3月15日に行なわれているところもあります。
実際には、釈尊が入滅した月日は不明であり、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日(ウェーサーカ祭)と定められていて、ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものであります。
法要中は、釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』を読誦することとなっています。また仏涅槃図の絵解きを行うところもあります。平安時代には、山階寺の涅槃会がとりわけ有名であり、常楽会(じょうらくえ)とも称されており、『三宝絵』の中でも「年中主要法会」の一として記されています。)
 お釈迦さまの伝道は北インドのガンジス河を中心に、45年間の永きにわたりました。80歳となられたお釈迦さまは、阿難(アーナンダ)と数名の弟子をともなって王舎城(ラージャグリハ)からクシナガラへと伝道の旅をなされるのです。自らの入滅を予感され、生まれ故郷のカピラ城へ向かわれたようです。この旅路の様子をくわしく記録したのが「大般涅槃経」です。
 お釈迦さまは王舎城の霊鷲山を出発されて北へ道をとり、ナーランダを経てガンジス河を渡られます。それからベーサリーに至りますが、この時にお釈迦さまには病による激痛がおこったようであり、自らの死期を予告されます。
 お釈迦さまは痛みや疲労をおさえながらもゆっくりと、なおも歩み進められパーバーに着かれます。ここで鍛冶工のチュンダの供養を受けられるのですが、お釈迦さまはこの食事で更にはげしい腹痛をおこされます。重病にもかかわらず、弟子達の助けをかりつつ、お釈迦さまはさらに歩みを進められるのです。カックッター河で沐浴され疲れを癒やされた後ビハール州クシナガラのサーラ樹林(沙羅双樹)にたどりつかれます。ここに至ってお釈迦さまは力尽きられ北を枕にして身を横たえられました。
 お釈迦さまは身を横たえられたまま、集まった人々を前にして最後の説法をなされます。
 その教えの「遺教経」(ゆいきょうぎょう)には、最初の説法によって五比丘を教化し、最後の説法において須跋陀羅を救渡して使命を終え、いままさに滅せんとしていることが述べられます。次には諸弟子に対して、入滅の後は戒本を師として、よく戒めを守り、五欲を慎み、静寂を求めて努力をし、定を修して悟りの智慧を得るべきことを示されるのです。最後に四諦の教えについて疑いのある者は、はやく質問するように三度勧め、さらに、智慧の光明によって、無明の闇を除くべきことを教え、これが最後の教えである、と結ばれています。
 そして、静かに如来としての永遠の涅槃に入られるのです。阿難をはじめ弟子達の嘆きは、想像を絶するほど深いものであったのでしょう。経典には「大地震がおこり、人々の身の毛はよだち、天上では自然に天の鼓(つづら)が鳴った」と伝えられています。お釈迦さまの入滅は、この世のいかなる悲しみにも、たとえることのできないほど深いものであったことをうかがい知ることができます。その様子は「仏涅槃図」(ぶつねはんず)として描かれ広く一般に知られています。
 涅槃図には真っ白い花をつけたサーラ樹の下で、お釈迦さまは頭を北に顔を西に向け、右手を枕にして横臥し、周囲には十大弟子をはじめ、老若男女、鳥獣たちさえも嘆き悲しみ、百獣の王である獅子までが、仰向けになって慟哭している様子が描かれています。画面右上には、とうり天からかけつけたお釈迦さまの母君、マヤ夫人が描かれています。そして、お釈迦さまの母君とは次のような話が伝えられます。
 それは、お釈迦さまの入滅により悲しみの極みにある情景は、一転して歓喜の光景と変わるのです。といいますのは、一度金色の棺に納まったお釈迦さまが、威神力によって棺の中から身を起こされ、天から駆けつけられた母のためにご説法をなされたからです。この光景を、釈尊の金棺出現(きんかんしゅつげん)といいます。松永記念館蔵の金棺出現図は国宝になっています。
「摩耶経」によると、お釈迦さまの死を知ってとうり天から下りてきたマヤ夫人が、あまりに嘆き悲しまれるので、お釈迦さまは大神通力をもって金棺から身を起こし、母親の為に生死の真理を説かれた。その時お釈迦さまの身は大光明を放ち、その光明の中に百千の仏が現れて、お釈迦さまと共にマヤ夫人に向かって合掌した。そして、ようやく母のお顔が蓮の花のようにやわらぐのをみとめて、お釈迦さまは再び金棺に身を隠されたと説かれています。
 空中には諸仏如来たちが、入滅されたお釈迦さまを仏土へと迎えにこられた姿も描かれています。その時沙羅双樹は時ならぬ花をつけ、お釈迦さまの身体につぎつぎと白い花びらを散らしたと伝えられています。現在、曹洞宗の葬儀において、祭壇の両側に二本の真っ白い四華花(しかばな)を立てますのは、お釈迦さまのサーラ樹になぞらえて冥福を祈っているわけです。
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(※昨年、高野山金剛峯寺で行われた常楽会 Facebook中継時の写真を拝借)
 「涅槃」とはたんなる「死」ということではありません。涅槃とはサンスクリット語の「ニルバーナ」を音訳したもので「火の消えた状態」という意味です。つまり、煩悩の炎を消し去って悟りを開いた状態のことです。そして、最後に、お釈迦さまのいのちの火が消えてしまった入滅のことを、完全な涅槃ということで「大般涅槃」(だいはつねはん)と呼び、永遠のやすらぎを示されたものです。
 
(*ニルヴァーナ (Nirvana) は、1987年に結成された、アメリカのロックバンドがいます。バンド名には、仏教用語の「涅槃の境地」という意味合いと「生け贄」という意味合いがある所からつけられました。)

 

2022-01-31 11:37:00

星祭り

星祭り
星まつり(ほしまつり:星祭り)は、仏教の中で後期大乗の教えに属する密教において、「一字金輪仏頂」と呼ばれる大日金輪や釈迦金輪を主尊とする『星曼荼羅』や、七星如意輪観音を主尊とする『七星如意輪曼荼羅』や、妙見菩薩を主尊とする『妙見曼荼羅』を本尊として、天下国家に起こる各種の災害や、個人の災いを除くために、その年の主な星曜や各個人の当年星(とうねんじょう)と本命星(ほんみょうじょう)等を祀る修法と祭事を目的とした密教的なお祭りのことを言います。「星供養」(ほしくよう)、「星供」(ほしく)、あるいは「北斗法」ともいう。本来は中国の道教の祭儀であり、インドの仏教とは無関係であったが、密教側が仏教的に脚色して採り入れたものであります。
『星曼荼羅』に代表される密教占星法では、密教の修法と密教の天文占星を二本の柱として、九曜星の九つの星や、北斗七星の七つの星の内の一つをその人の生まれ星として本命星と定め、運命を司る星と考え、また、一年ごとに巡ってくる運命を左右する星を「当年属星」と呼んでいます。これらの星を供養し、個人の一年間の幸福を祈り、災いを除く祭りで一般に旧暦の元旦や、立春、冬至などに行われており、全国の様々な寺院で星まつり・星供の行事が行われています。
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(星供曼荼羅)
 

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2022-01-28 08:42:00

節分雑学

節分
節分とは、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことをいいます。。節分とは「季節を分ける」ことをも意味し、江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多くなりました(太陰暦[旧暦]から西洋に合わせ太陽暦[新暦]へ変更)。この場合、節切月日の大晦日にあたります。
 ★子供用解説‼︎
子供に旧暦やら旧正月など言っても分かりにくい!大人でも分かりにくい!
どうして節分は、年に一度しかやっていないのでしょう?
どうして節分は2月3日なの? 
節分は、季節の変わり目毎にあるのですが、季節の分かれ目とは、立春、立夏、立秋、立冬の事です。
その前日が、節分と呼ばれているのですが、季節は、「春夏秋冬」と書くように、一年の始まりは「春」になります。その春の始まりが、立春です。
立春の前日、2月3日が節分として、主流になったのです。
一年の最初、お正月に送る年賀状にも、「新春」とか「迎春」と書いたりします。
その「春」が始まる前日、新しい一年が始まる前日に、「これから始まる、新しい一年が、不幸や災いが無い一年になりますように、良い年でありますように」
との願いを込めて、一年に一度、節分をこの時期に行うのです。
今でも、大晦日には「大掃除」をすると思います。
大掃除も、旧年中の埃や汚れ、言い方を変えると邪気など悪いものをなくし、綺麗な体で、新しい年を迎えるという意味もあります。
掃除とやり方は違いますが、豆まきもそれと同じ意味なんだよってのはいかが?
★節分ですること
よくあることは、「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行います。また、邪気除けの柊鰯などを飾ったりします。これらは、地方や神社などによって異なってきます。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われます。
節分は何故豆まき?
 ★子供には、「昔、京都に鬼が出て、みんなを困らせていました。
その時に、神様からのお告げで、
豆を鬼の目に投げて、退治したというお話があります。
「鬼=魔」
「魔(ま)を滅(め)っする」という言葉から、その年が無病息災で過ごせるようにと、豆を撒くようになったんだよ。」というのはいかがですか?
★歴史的には
節分の行事は宮中での年中行事である『延喜式』があります。これは彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ります。
「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去されます。この行事は、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれました。
『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儀が始まり(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とあり)、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行ったようです。
『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されています。
現在では、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになったのです。
★豆についての、豆知識
邪気を追い払う為に、節分には古くから豆撒きの行事が執り行われています。宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われてます。豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。
豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べ、また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもあり、初期においては豆は後方に撒くこともあったと言います。
使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆(炒り豆)です。豆を神棚に供えてから撒く地方もある。炒り豆を使用するのは、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものである為、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるといいます(なぜかというと生の豆は、そこから芽が出てきます。「魔」から目が出てくるということで、大変、縁起が悪いとされています)。
かつては、豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたといわれてます。豆撒きとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もありますが、定かでないようですね。
★子供には、
「昔のカレンダーでは、今日(2月3日)が大晦日だったんだよ。」
「大晦日だから、新しい一年が、楽しく過ごせるように豆を撒いて、
鬼を家の中に入れないようにしようね。」
というような簡単な説明にすると、良いかと思います。
付け足し、全国には色々な地域性があり、鬼が必ずしも悪では、ありません。鬼が福の所もありますので、悪しからずm(__)m

 

2022-01-25 12:43:00

恵方巻き

恵方位=北北西(2022年)
恵方巻、(えほうまき)とは、節分に食べると縁起が良いとされている「太巻き(巻き寿司)」、および、大阪地方を中心として行われているその太巻きを食べる習慣の事。
★「恵方巻」という名称は、1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に「丸かぶり寿司 恵方巻」と採用したことにより広まったとされています。←みんな知ってた?
それ以前は「丸かぶり寿司」「節分の巻きずし」「幸運巻きずし」などと呼ばれており「恵方巻」と呼ばれていたという文献等は見つかっていません。
節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたり、一年の災いを払うための厄落としとして「豆撒き」が行事として行われています。大阪などでは同日に太巻きを「巻き寿司」「丸かぶり寿司」や「恵方巻」と呼び、それを食べます。
恵方巻は、太巻き(巻き寿司)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされていて、「目を閉じて」食べるともされる一方、春が来るのに障害となる"金気"を「笑い」という"火気"で滅ぼす(火剋金)という趣旨で「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々です。
説によると、太巻きには7種類の具材を使うとされ、その数は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので、福を巻き込むと意味付けされてるそうです。別の解釈もあり、キュウリを青鬼、ニンジンや桜でんぶ(おぼろ)や生姜を赤鬼に見立てて「鬼を食べて」鬼退治するという説や、太巻きを鬼の金棒(逃げた鬼が忘れていった金棒)に見立てて、鬼退治と捉える説もあるようです。
大阪地方では、単に「巻き寿司」や「丸かぶり寿司」などと呼ばれ、別称として「恵方寿司」「招福巻」「幸運巻」「開運巻き寿司」「太巻き丸かぶり」などと表現されることあるようです。
恵方について
歳徳神(としとくじん、とんどさん)は、陰陽道で、その年の福徳を司る神です。年徳、歳神、正月さまなどとも言います。
ほとんどの暦では、最初の方のページに王妃のような姿の美しい姫神の歳徳神を記載しています。歳徳神の由来には諸説あり、『簠簋』では、牛頭天王の后・八将神の母の頗梨采女(はりさいじょ)であるとしていますが、これはでたらめであるとの批判もあります。また、牛頭天王が須佐之男尊と習合したことから、その妃の櫛稲田姫とも同一視されてます。
歳徳神の在する方位を恵方(えほう、吉方、兄方)、または明の方(あきのかた)と言い、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされ、本命星と恵方が同一になった場合は特に大吉となります。しかし、金神などの凶神が一緒にいる場合は凶方位になるのです。
かつては、初詣は自宅から見て恵方の方角の寺社に参る習慣がありました(恵方詣り)。
歳徳神の在する方位(すなわち恵方)は、その年の十干によって下記のように決まります。
甲・己の年:寅と卯の間(甲の方、東と東北東の間) 
乙・庚の年:申と酉の間(庚の方、西と西南西の間) 
丙・辛・戊・癸の年:巳と午の間(丙の方、南と南南東の間) 
丁・壬の年:亥と子の間(壬の方、北と北北西の間) 
参考までに

 

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