ぷち豆知識
風鈴
風鈴の季節ですよね。
今日の雑学は風鈴
中国から伝わった「風鐸(ふうたく)」がもとになったと言われています。
古くは唐の時代の中国に、占風鐸(せんふうたく)という占いがありました。竹林の東西南北に、風鐸という青銅でできた鐘のようなものを吊るし、風の向きや音の鳴り方で物事の吉凶を占うもので、政治判断等が行われていたそうです。
この風鐸が、日本に仏教とともに伝わったと言われています。当時の日本では、強い風は流行り病や邪気などの災いを運んでくると考えられていました。風鐸は、その音が聞こえる範囲は聖域とされ、災いから守ってくれるものとしてお寺の軒の四隅に吊るされるようになったのだそう。当時は青銅製だったので、今の風鈴のような軽やかな音ではなく、やや鈍く重い音だったと言われています。
平安時代には、貴族が魔除けとして軒先に吊るしていたそうです。
風鈴の名は一説には法然さんが「ふうれい」と名付けたことに由来してます。
「風鈴」という表記は鎌倉末期に作られたとされる国宝『法然上人行状絵図』に「極楽の七重宝樹(しちじゅうほうじゅ)の風のひびきをこひ、八功徳池(はっくどくち)のなみのをとをおもひて、風鈴を愛して」とあり、これが後に「ふうりん」と読まれるようになったと言われてます。
江戸時代になると、西洋と貿易を行っていた長崎を通して、ガラスの文化が入ってきます。ガラスの風鈴もつくられました。かなり高額だったようです。
時は更に進みガラスの価格が徐々に下がり、庶民の手が届くようになると、住宅の縁側に吊るして楽しまれるようになりました。縁側は日当たりの良い南側にあることが多いのですが、南西が裏鬼門という不吉な方角にあたること、また気温が高い時期は伝染病が流行りやすかったことなどから、暑い夏に魔除けの意味も持って飾られたのではないかと想像されます。そのためか、この頃の風鈴といえば、魔除けの色である朱いものが主流だったそうです。
また、風鈴が流行る以前から、庶民の間では籠で鈴虫を飼って鳴き声を楽しむ習慣がありました。風鈴の音は鈴虫の声と似ているため、夏の終わりから秋にかけて鈴虫を飼うときには風鈴は仕舞われ、「風鈴は夏のもの」という風習が生まれたとも言われています。
最近では、魔除けの意味が薄れて、夏の暑さを凌ぐ季節のものになったようですね。
昨今は、コロナが猛威をふるい、世の中が不安定です。
風鈴の音色と共に、良い気を取り込んでみてはいかがですか?
#雑学 #風鈴 #魔除け #魔除 #風鐸 #夏の風物詩 #日本の文化 #japan #japanese #japaneseculture